時代背景としては8代将軍徳川吉宗による享保の改革の頃となります。麩屋市兵衛が元治元年(1864)建立した先祖のお墓には一番古い元号で宝永(1704~10)の文字がみられます。およそ280年続いていると推定されます。
町火消組の他に商売として始めた麩焼きは、その後も代々引き継がれました。
時代背景としては8代将軍徳川吉宗による享保の改革の頃となります。麩屋市兵衛が元治元年(1864)建立した先祖のお墓には一番古い元号で宝永(1704~10)の文字がみられます。およそ280年続いていると推定されます。
町火消組の他に商売として始めた麩焼きは、その後も代々引き継がれました。
麩市(ふいち)は江戸中期の1850年頃(嘉永年間)、麩屋市兵衛(ふやいちべえ)により創業されました。この辺りはお寺や神社が多く、神宮寺通りとして栄えていました。当時は麩や味噌が貴重なタンパク源として精進料理には欠かせない材料でした。市兵衛は麩を焼く一方で、町火消組の組頭でもありました。若衆と共に麩を焼き、町で火事が起きると半纏姿で駆けつけ、延焼をくい止めたそうです。
町火消は享保3年(1718)に江戸時代中期の名奉行として知られる大岡忠相(おおおかただすけ・越前守だったことから大岡越前とも呼ばれる)が、儒者荻生徂徠の進言に基づいて組織。その後 江戸大火を受け「いろは四十八組」として再編成され、町火消制度が確立しました。現在全国各地の自治体の消防団の前身となりました。
当家は先祖代々、町火消組をしていました。推定では1720年辺りが初代です。
明治の市太郎の代には麩・蒟蒻(こんにゃく)・粉辛子(からし)・心太(ところてん)も製造していました。店名は屋号の麩屋と名前の市兵衛の頭文字から「麩市(ふいち)」となりました。
マーク(商標)は、唯一残されていた半纏に染められていたのを写しとったものを現在も使用しています。
大正・昭和の時代になり、当家の蔵には町火消しの纏(まとい)などの消火道具一式や当時をしのばせる多くの品が大切に残されていました。しかし、大火や戦争による空襲、地震によりすべてが損失。誠に残念な限りです。
その後、麩焼きは断念しましたが、代々の商売を守り続けながら今日に至っております。私達は麩市の味を守り続けることが大切だと考えています。地がらし(和からし)・こんにゃく・ところてん・手作り味噌の「ふいち」は、皆様のご愛顧を深く感謝し、これからも変わらず精進してまいります。
店舗の横にある麩市自慢の
ローズガーデン。バラ栽培のようすを日誌と写真でつづっています。
麩市の店先にある樹齢150年の
老梅です。毎年たくさんの花を
咲かせてくれます。
百坂から登る足羽山の歴史と
自然を紹介します。四季折々の
表情が豊かで市民のオアシス
となっています。
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